鹿嶋神社の御祭神
境内社 | 御祭神 | 御功徳 |
戎 社 | 事代主神 | 信用・商業の神 |
出雲社 | 少名毘古那神 | まじない・医薬の神 |
荒神社 | 奥津日子神(男神) 奥津比売神(女神) | かまどの神 |
稲荷社 | 稲荷大明神 | 農業・商業の神 |
三 神 合祀社 | 鹿島大神 福成大神 當勝大神 | 農業・稲穂の神 |
太郎坊 権現社 | 八束水臣津野神 | 勝負・農業の神 |
当神社は、遠く聖武天皇により播磨の国(現:兵庫県明石~赤穂)に国分寺の東院として大日寺が建立された時、その鎮護の神として奉祀されました。
天正6年(1578年)羽柴秀吉が神吉城(兵庫県加古川市に一部遺構として現存)を攻略した時に当地も戦火に見舞われ灰燼に帰しましたが、大神様の高きご神威によりご神殿に戦火が及ぶことはありませんでした。
付近一帯は一時荒廃するも、地徳新村の開発とともに寛文年間(1661~73年)に新しく神社建立の議が上がりました。そして当時の姫路藩主松平直矩公のご賛同をいただき、境内地及び各種資材の寄進を受け、景勝「鷹の巣崖山」の誉れが宿る当地にお社を建立し、
かつての御祭神「武甕槌命」「経津主命」をお祀りしました。
当神社はお祀りされた当時から霊験あらたかであるとして元禄元年(1688年)に藩主本多忠国公から境内地として五十間四面(約1ヘクタール)の地を提供いただくなど、歴代姫路藩主の崇敬篤く、祭礼には特使が派遣されました。
「心を込めてお詣りいただければ、その願いは必ずかなう一願成就の神様」として全国各地より沢山の方々にお詣りいただいております。
鹿島大神は「武神」「軍神」「安産の神」
鹿島大神は、「武神」「軍神」として広く崇拝されていますが、「安産の神」としても知られています。
神功皇后
応神天皇
女性として日本で初めて紙幣にその肖像が用いられた
神功皇后(じんぐうこうごう)(第十四代・仲哀天皇
(ちゅうあいてんのう)の皇后)が
お腹に子を宿しながら、急逝された天皇に代わって三韓征伐
(さんかんせいばつ)(朝鮮半島への遠征)に行かれるとき、鹿島大神のご加護を願って腹帯を付けられました。
凱旋帰国後、無事に応神天皇
(おうじんてんのう)(全国の八幡神社の主祭神)をお産みになり、その腹帯を常陸の国の鹿島神宮に進納されたと伝わっています。この腹帯が「常陸帯
(ひたちおび)」と
呼ばれるもので、現在も殿外不出の神宝として本殿に祀られ
鹿島神宮の安産信仰の拠り所となっています。そして、多くの方々が神功皇后にならい
鹿島大神に安産祈願をされています。